店主ノート
10年史 その2(オープン)
2019年10月14日(月) 10:25
10月14日 8時25分
台風被害が大き過ぎます。
これ以上は大きくならないこと願います。
10年史の続きです。
前回の店主ノートを読んでもらえるとストーリーがわかり幸いです。
•オープン
当店がオープンしたのは今月の12日なんですけど本当は5日にしたかったんです。
僕の誕生日だったので、でも、手続き状の問題で12日になってしまいました。
『安くて、美味しい』を目指して
店名の海鮮居食屋やっとこの由来は当初は10個くらい候補があったんです。
居酒屋 貴、居酒屋 魚一、海鮮倶楽部 鮮道、居酒屋 魚作 等
酒が飲めないからで居酒屋でなく居食屋にしよう。
やっとこ店を出すんだよなー
そうだ!やっとこにしよう!
ひらがなで何となくインパクトがあるしそれで
『海鮮居食屋 やっとこ』にしました。
場所はそんなに資金もなかった中で探していて今は無きススキノ駅から歩いて10分位にあるプリンス会館とゆうススキノでも有名な築40年の小さなお店が25件位集まった地下一階の3階建てのエレベーターはなしトイレは男女共同
昭和初期のビルとゆうよりまさに会館でした。
そこの3階を選びました。
地下も空いていたんですけどなんか幽霊が出そうなくらいどんよりしていて2階も空いてたんですけどスナックみたいだったので
3階の店はカウンター6席でテーブルが4名かけのが2つ合計14席
狭かったですよー、満席になったら、料理を運べないです。
もう、店とゆうより僕の部屋みたいなもんですよ。笑
そのかわり、お客様と僕との一体感はありましたよ。
平日なんて1日おきに0人でしたよ。3日連チャン0人とか、暇すぎてテーブル席で寝て起きたらラストオーダーの時間
時にはお客様に起こされました。
席数の割には高い宣伝費をかけてホットペッパーに出したけど
来るんですけど経費倒れ更にクーポン券を付けてたのでちょびっとしか利益が出ない。
ある程度、これは想定内でしたけど支払いは容赦なく来ます。
やっぱり、最初から上手くいくわけないのはわかってたので
予定通り、オープンして3ヶ月後にせめて家賃だけでも稼ごうと週6の朝7時〜14時まで弁当配達のバイトをしました。
弁当だから軽いだろうって。
それが配達先によってはコンビニ弁当2食もあれば15食のとこ
会社契約をしてるところになると40食、さらに値段の高いとこは
大きな電子ジャーとみそ汁入りの大きなポットとおかずを持って行く。
エレベーターがあって台車を使えれば楽なんですけど何故か僕の配達先は3階2階でもエレベーターがなく階段での配達。
毎日、北広島方面が担当で平均20件くらいをとにかく12時までに届ける。
そして昼から回収して戻って14時頃、それから店に行っての仕込み
まぁ、暇だったので仕込みもあんまりなく、体力も暇過ぎて十分にあり、年齢も今より若かった笑
このバイトを9ヶ月してました。
思ってたんです。周りの人達はどうせそんなに簡単に独立して上手くいくわけないと。
だから、へんなとこに負けず嫌いだった僕は意地でもやってやると思ってました。
でも、バイトも店も1年が限界だろうなと思ってました。
自分も生活費がないと駄目なので…
バイトして9ヶ月目にバイト中に事故にあいました。後ろから高齢のおばあちゃんが一時停止で止まってた僕の車に追突したんです。
僕はむち打ちになってしまい。
参ったなー。参ったなー。でした。
それと同時にバイト先では不運だったんですけど店には幸運なことが3つ舞い込んで来たんです。
1つはオトンとゆう飲食店雑誌の企画に『横丁酒場』に無料で載せたいのでと常連さんから言われました。その方はその雑誌の会社の人だったんです。僕は基本お客様の仕事は聞かないんです。
2つめはこの炭焼きスペアリブが美味し過ぎる!と言ってあるラジオ番組の美味しい料理の枠を担当している方を連れてきてくれてラジオ番組に生中継で出演しました。
これも、常連さんが連れて来てくれました。
3つめは当時3種類の食べ放題をやってました。サーモン、甘エビ、活ホタテ貝を40分お一人様980円でこれがウケて常連さんからの紹介で違うラジオ番組に生中継です。
この3つのことが事故後の月に舞い込んで来ました。
でも、思ったです、
バイトしてたら業者の人達と打ち合わせができなかったなーと
打ち合わせする時間帯はバイトしてるし
そのたんびにバイトを休めないし。
面接の時に夜は自分の店をやってますけど寝坊するとか店の事で迷惑をかけません!と言い切りましたから
マスコミ関係は宣伝力抜群でした。
あっとゆうまに存在感が大きくなり、2ヶ月間くらいは電話の問い合わせいきなりの来店。
でも、14席しかないのであっとゆうまに満席。何十人返したことか、それまで来てくれてたわずかな常連さんもビックリ‼️
それはそうです、ど暇な店だと思ってるんですから
さらに、ラジオ番組、オトンを見て来た方はまさかこんなに狭い店だと思ってなかったみたいです。
今日の10年も存在できたのはここから本当のスタートのはじまりでした。
それ以降はいろいろなお客様が来られるようになりました。
地元人、出張の方、観光客等
今でも14席から支えてくれてる常連さんの皆さんが来てくれてます。
その反面、増えるといろいろとありました。
一番多かったのは店名のやっとこはやっとこ辿り着いたかと思ったら今度は階段で3階まで上がらないといけないからやっとこなんだよね?と
本当はやっとこ店を出したのでだったんですけどあまりにもその意味だと思ってたお客様が多かったので最初はちゃんと説明してたんですけど最後は『そうです!』と言ってました。笑
あとはトイレが共同がなー、暑いなー(エアコンは付いてないです)、寒いなー(築40年の木造建てなので隙間風が)、団体を連れて来たいけどテーブルをつけることも出来ないし宴会もできないなしなー
それでも、2組ほど貸し切りで使ってくれました。
こういろいろとあると経営者はそこを解決したくなるんですよね。
2年後には次のステージ
•広くに続きます。
随分と長くなりました。
本当はエピソードもいっぱいあるんですけどそれも書くととんでもない長い長いー文書になるので自粛します。
ここまで読んでくれた皆様に
ありがとうこざいます。
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